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曲がったiPhone6

 以前に、ここにも書いたが、我が家は全員SIMロックフリーのiPhone7に変更して、ソフトバンクからFreetelに乗り換えた。その際に使っていたソフトバンク用のiPhoneは売却して来たが、息子の使っていたものだけが支払いの関係でようやく最近売却可能となった。そこで、そのiPhone6をもって、売りに行ったのだが…

 なんと息子の使っていたiPhone6は反ってしまっていた。普通に使うぶんには気づかないのだが、よくよくみると曲がっている。どうもポケットに入れているうちに曲がっていたらしい。販売店によると買取価格の2割の値段しかつかないという。数千円だ。ハイボールとカルビとロースとキムチ盛り合わせを頼んで、締めにビビンバを食べたら終わってしまうほどの値段。う〜ん。どうしよう?

 次に思いついたのはAppleの下取りだった。いっそ、今使っているローズゴールドのiPhone7をRedにして買い換えて、その下取りにしてしまえばいいかも…と思って、Appleに曲がったiPhone6を持って行き、下取りの価格はどれくらいかと尋ねてみると…

 衝撃的な答えであった。なんと下取り不可なのだ。画面が割れている場合は大丈夫とのことであったが、曲がったものはダメとのこと。これでiPhone6を有効に換金する手段がなくなった。もちろん、ほんの数千円で売ることは可能だが、それはあまりにももったいない。

 というわけで、おおきなiPod touchとして自分で大学の授業の時に使うことにしようと思う。Keynoteの専用にすればまだまだ有効だ。

 

 みなさんも、将来のためにiPhoneは曲がらないように丁寧に扱ってください。

なぜ消えた?

数日前にここに書いて、アップしたと思った記事がなくなっていた。正確にはタイトルはあるのだが、本文がなかったのだ。こちらは本文を書いてアップしたつもりだったのだけれど、どういうわけだが本文が抜け落ちていた。

  思えば予期せぬ出来事というのはあるもので、覚悟をしていることについては気持ちも準備できているので、なんとか対処できるが、予期せぬこととなると、あわわ、あわわと慌てふためいてしまう。もちろん、どんなことがおきても冷静にと頭ではわかっていても、そこは生身の人間、事が起きてからでないとわからないことはいくらでもある。

 理想なのは、そのような予想外のことをできるだけ少なくするように、予想して、対処することなんだろう。毎日の生活の中、自分の行動の中で、その行動はどんな結果になるか、その予想くらいはつけて、事前に避けるとか、対応策を考えておく必要があるのだと思う。「準備して起きなさい」という大人の言葉が今更ながらに耳に響いてくるのだ。

ロードウィーク

 先々週初めは東京、先々週末には大分、そして先週の火曜日からは沖縄の久米島と出張が続き、なかなかブログを書く時間も取れなかった。今日やっと名古屋に帰ることができる。

 旅は日常の時間、ペース、リズムに変化をもたらしてくれるので、日ごろ気づけないことを認識させてくれるし、日常の当たり前に感謝を感じる機会になる。名古屋という都会の便利さを改めて実感させてくれると同時に、のどかな場所で時間を過ごして、毎日の忙しさや緊張感にどんな意味があるんだろうと、立ち止まって考えさせてくれる。できれば、今度は仕事ではなくて、プライベートでのんびりと楽しみたいものだ。

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MacBookを机に置かない生活

 この2週間ほど、書斎の机の上に鎮座していたMacBookを本棚に片付けている。とはいっても、使わないのではなく、使う頻度を少なくするためだ。書斎では毎朝、MacBookを開くことから、初めて、メールチェック、ウェブブラウジングとしてしまい、結構無駄な時間を過ごしてしまう。いつでも机の上にあり、キーを押せば、使えてしまう手軽さが、かえって邪魔になる。

 そこで、いっそ本棚に立てかけてしまい、使うのに一手間をかければ、どうだろうと思ったわけだ。机の上にはiPadiPhoneもあるので、メールチェックは困らないし、iPadもあるからウェブブラウジングもできてしまう。パソコンよりもかえって手軽ではあるのだが、できないことも多く、割り切りをする分、すこしばかり使う頻度が少なくなる。

  手間をかけることで面倒になるので、その分は本を読む時間に当てている。授業がない今の時期だからこそ、書籍を読み、論文を書くことができるし、書類仕事もすこしばかり落ち着いている。それもあって、MacBookの使用頻度を下げることもできるというわけだ。

  IPadはパソコンの代わりになるか、ということが一時期は熱く語られていた時もあったが、決して代替えにはならない。ただし、かなりの作業を代行できる。電子版の雑誌を読むのも、電子書籍を読むのも便利だ。むしろMacBookにはできないこともできる。ただし、それは情報のブラウジングが主体になる時だけ。情報を作成して、生産するにはやはりコンピューターでないとうまくいかない。論文も資料を同時に見ながらならば、コンピューターがいいのだが、iOS機材でも、iPadiPhoneのように複数を使えば、それも代替えできてしまう。そう考えるとiPadだけではコンピュータの代替えにはならないが、iPadプラスiPhoneならばかなりいい線にいくようだ。

有線っていいなぁ

 有線の話だ。とはいえ、これは今時はUsenと書くべきかもしれない。昔は有線といえば有線放送のことで、お店やパチンコ屋で放送されていたものだ。裏覚えの記憶では、電話して、リクエストするとかけてくれる方式だったと思う。考えてみれば、今のストリーミング放送の走りみたいなものだ。

  昔から、カフェや医院の待合室のようにBGMを有線でストリーミングしたいと思っていて、一時期は有線放送を書斎に引こうかと思ったこともある。ところが一昨年から、スマホで有線放送が聴けるようになった。一ヶ月五百円ちょっとだ。普段はBGMを流しているけれど、ときにジャズを流したりもするが、有線で良かったと思うのは懐かしい昔の歌謡曲が聞けることだ。今も、永ちゃんの歌が流れている。すでに1980年代は昔の懐メロ世代だ。まだ髪の毛もたくさんあって、お腹の出具合もさほどではなかった頃に、夢中になって聞いていた曲が気軽に聞けるのはいい。こんなこと書くのはかなりおっさんになったなっぁって思う。でも、おっさんの年齢なのだから、いいじゃないかと開き直れるのがこの年齢かもしれない。

  うん、昔の歌は歌詞が聞き取れるのだ。今のJ-Popは字幕がないと歌詞がわからないけれど、昔の曲は聞くだけで、日本語が理解できる。歌のメッセージ性が伝わるのだよ。一ヶ月500円を気軽に出せる年代になったあなた、Usen、いいですよ!

水瓶座IIを購入。

 このところ空気が乾燥しているし、花粉症対策の一つとして、卓上の加湿器というのを購入してみた。たまたま大学で使っている職員の方の机を見て、なかなか良さげではないかと思ったからだ。電源はUSBなので、モバイルバッテリーでも動きそうだ(笑)。

 早速研究室で、使おうと思い、頑張ってペットボトルの水を飲み(笑)、空にしてから水道の水を入れてこれに挿そうと思ったら…なんとゆるい!なんだこりゃ!と思ってネットで調べてみると、口が少し大きく国産のペットボトルのキャップサイズよりも大きいとのこと。そんなこと、ショッピングサイトに出ていなかったのに(涙)。

 というわけで、帰り道にスーパーによって、ボルビックの水を買った。これなら口のサイズが合うのだ。

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そして、帰宅後、挿して見たら、今度はバッチリ。なかなかいい感じでミストが出てくるのだ。今度はこのボトルごと、研究室に持ち込んでみよう。

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1984

1984年夏、私はイギリスのバーミンガムにいた。1ヶ月の語学研修が目的だった。夏のイングランドは夜の9時を過ぎても明るく、夏とはいえ、日本の蒸し暑さを忘れさせてくれる乾いた風が心地よかった。

 1984年。それまでは意識しなかったけれど、この年、書店には1984という本がフィーチャーされて、どんなものだろうかとは思ったけれど、買うことはなかった。著者のジョージ・オーウェルの作品はその2年前、大学1年のときの夏の課題でAnimal Farmを読んだだけだった。だが、1984に書かれた世界は本当に1984年にどうだったのか。それに興味があり、文庫の翻訳版を買ったのだが、結局読むことはなく、その30数年後、ブックオフに売られた。

 ブックオフに売った当日の午後、ふと電子書籍なら文字も大きくなるしと思って購入して、読み始めて、夢中になってしまった。なんでもトランプ現象の一つで、トランプのアメリカは1984に描かれた世界を連想させるとかで、売れているそうだ。だが、実際に読みふけると、これは確かに現実の世界を連想させるには十分すぎるほどの内容だ。テレスクリーンと呼ばれる装置による監視はまさに今のネット社会そのもだし、これを通じて人々の思想や感情まで操作するのも当てはまる。そして、もっとあそこの事情がこうじゃないのかという連想を抱かせるのに十分な内容なのだ。

 ノストラダムスの大預言が昔流行ったけれど、1984を預言書として読んでみよう。ちょっと現実の恐ろしさに背筋が凍るはずだ。

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