マクベス

 以前自炊した小田島雄志先生のいくつかの本を読み直してみた。軽快な筆致の中にもシェイクスピアだけではなく、演劇や人間の魅力を教えてくれる言葉の数々に改めて、心を揺さぶられた。そこで、懐かしさもあり小田島先生訳のマクベス白水社)の電子書籍を改めて購入して読んでみた。実は学生時代に小田島先生のシェイクスピア全訳を購入していて、紙の書籍があるのだが、もう30年以上も前のものなので紙が黄ばんで読み難いのだ。

 さて、改めてマクベスを読み返すと野心を抱く男の揺れる心と自分の行動を決断する迷い、そして、実行してからの心の不安定さと弱さを改めて感じ、読みながら、「白い巨塔」の財前五郎を思い浮かべてしまった。「明日、明日、明日。。。」で始まる有名な独白は人生という舞台の後半に差し掛かっている今では、20代の頃の感じ方とは明らかに変わる。自分がこれまでに行ってきたことを振り返り、どれだけのことだったのかと思わざるを得ないのだ。

 実はマクベスだ大学3年の時に授業で原著を読んでいた。昨日研究室の本棚にあった当時の教科書を手に取ると書き込みだらけのページが目に入る。教科書なので、巻末には語句の解説も記載されていて、読みやすいと思うのだが、当時は全くそんなことも感じることができず、文庫本の日本語訳を片手に、「どうしてそんな意味になるんだぁ?」と格闘していたことを思い出す。

 シェイクスピアの英語は現代の英語とは語句の意味が異なるものもあるし、発音も異なる。そして、他動詞の後に目的語の名詞句がすぐにきたりはせずに、状況要素としての前置詞句が入ってきて、その後に目的語が来たりするので、英語学習者としてはさらに厄介だが、これも韻を踏むための操作だったりするのだ。だから、最初はとっつき難いシェイクスピアの英語も慣れてくれば、ちょっとづつは読めるようになってくる。とはいえ、日本語訳を片手にしながら字句のかかり方を確認する作業は求められるが…(苦笑)

 古典だからといって古臭いと敬遠しないで、むしろ400年以上も読み継がれているものには時空を超えた人間の喜怒哀楽が認められているはずと、向き合ってみてはいかがだろうか?そこには新しい発見が必ずあるはずだ。

Remove all ads

糞害に憤慨

 最近、庭の一角、砂地になっているところに猫が糞をして困る。玄関先なので、玄関を開けると、糞臭が鼻をついて朝から気分が滅入ってしまう。そのままにしておくわけにはいかないので、掃除の際に片付けるのだが、猫からすればいつでも綺麗なおトイレになっているわけで(苦笑)、快適さが向上しているのかもしれない(笑)。

 ちなみに猫の糞を片付けるときに気づいたのだが、糞の中にはものすごい量の毛が混じっている。あれは自分の毛なのだろうか?あの繊維質が猫の体調管理に関わっているのだろうか?そんなことを考えると臭いながらも好奇心が湧いてくるから不思議だ(笑)。

 とはいえ、やはりあの臭いは閉口する。何か対策はとネットを見ているが、消臭と防止を兼ねた薬品があるらしい。出張から帰ってきたらドラッグストアにでも行って探そうと思う。

Remove all ads

手作りApple Pencilホルダー

 iPad Proの背面に貼り付けていたApple Pencil用のホルダーがどうにも扱いづらかったので、自分でホルダーを自作した。以前購入した革製のKindleカバーから革を剥ぎ取り、適当な大きさに切って、ペンを巻きつけて、接着剤で固定し、今度はiPad Proのカバーに両面テープで取り付けて見た。

 ところが、しばらく使っていると、Apple Pencilの重さに負けて、剥がれて来てしまう。そこで、革の裏側に薄いプラスチック(これも廃品利用)を接着剤で、貼り付け、その上に強力な両面テープで固定したところ、安定をした。

 数百円出せばペンホルダーは購入できるが、たまには廃品利用を兼ねた楽しい工作として、こういうものを作ってみるのも悪くはない。 

f:id:msasaki0418:20170808100710j:image

 

f:id:msasaki0418:20170808100718j:image

 

f:id:msasaki0418:20170808100737j:image

iPad Pro (iPhone)でAirPrintを使って明朝体を印刷する方法

 今まで自腹購入のiPad Pro 10.5インチを使っているのだが、授業に持ち運んだりと活用方法が広がるにつれて、どうしても研究室に常備するiPad Proが欲しくなった。そこで研究費を使って、iPad Pro 12.9インチを購入した。実はiPad Proを使うと、パソコンで行う業務の多くを代用することができる。文書の作成や成績管理などはiPadだけで十分だ。

 正直、おおよその業務はできるのだが、唯一困るのがAirPrintだ。研究室にもAirPrint対応のカラープリンターを入れたのだが、iPadから印刷すると、日本語の場合は強制的にゴシック体で印刷されてしまう。たとえ元ファイルの文章が明朝体で書かれていても、実際のプリントアウトはゴシック体になってしまう。そこでなんとかできないのかとネットを調べてみても解決策が出てこない。あれこれ試行錯誤をしていたら、なんとできるようになったので、ここで備忘録の意味も込めて書くことにする。なお、この方法はiPhoneなどの他のiOSバイスでも問題なく実行できることも確認している。

 今回AirPrint対応の明朝体で印刷するには一つ、Prime Printというアプリが必要になる。400円のアプリだ。事前に購入して使えるようにする。

f:id:msasaki0418:20170811130947j:plain

 では、順を追って、印刷方法を書いて行く。サンプルとなるのはWordの文章だが、同じようにすればPagesでもできることを確認した。なお、普段は英語環境で使っているので、表示が英語になっているが、日本語環境でも基本的な操作は同じなので、ご了承願いたい。

 ワードの編集画面で右端の人形のようなアイコンをタップする。これは文章ファイルの共有をするアイコンだ。文章ファイルとAirPrintで印刷したり、メールで共有する場合にも使う。

f:id:msasaki0418:20170811131759p:plain

ここをタップすると次のような画面になる。

f:id:msasaki0418:20170811125425j:plain

ここからSend a Copyをタップする。

f:id:msasaki0418:20170811125430j:plain

上記の画面になったら、Formatをタップすると、形式が選択できる。ここでPDFを選択する。

f:id:msasaki0418:20170811125445j:plain

すると、再び前の画面に戻る。

f:id:msasaki0418:20170811125430j:plain

今度はここからSend with Another App(他のアプリで開く)をタップする。

f:id:msasaki0418:20170811125452p:plain

ここからPrime Printのアイコンを選んでタップする。

f:id:msasaki0418:20170811125458j:plain

すると、自動的にPrime Printの画面に変わり、先ほどの文章が登録されているがわかる。

f:id:msasaki0418:20170811125505p:plain

ここから登録された文章をタップする。

f:id:msasaki0418:20170811125510p:plain

この画面から枚数や両面印刷の指定などが行える。最後に画面最下段のプリンターのアイコンをタップすれば印刷できる。

 これでiPad Proだけでの仕事がさらに加速するのではないだろうか。

 

昔の新書と今の新書

 本棚の整理をしながら、ふと学生時代に読んだ本などにもう一度目を通している。自分が学生時代にどんな言葉と対話したのかと、50代になってから読み始めて行くと、当時は何やら難しい言葉が羅列してあってわからなかった事柄も今ではすんなりと目の中に入ってくる。いや、もしかすると、若い時にはこだわって一語一語に目を通していたのに、この歳になって、面倒になって、すんなりやり過ごしているだけなのかもしれない(苦笑)。

 さて、読み始めて行くのだが、意外にそのペースは上がらない。中でも新書のペースが上がらないのだ。最近は新書は2時間もあれば一冊読み終えてしまうのに、数日かかってしまう。はてさてどうしてかと考えて、昔の新書と今の新書を比較してみたら、なるほど、ずいぶん変わっていたのだ。 

 まずは文字の大きさ。フォントサイズは今の方が少し大きい。それから行間。これも今のものと比べると昔のものは狭い。すなわち、同じ1ページの中の情報量が圧倒的に昔の新書の方が多いのだ。きっと、今あれくらい1ページの文字密度の濃い本を見ると多くの人は買わないだろう。特に若い人には敬遠されてしまうかもしれない。同じブログといっても、一行に数語程度のブログもあれば、私のように文字の密度が高くて、ビジュアルな情報が少ないブログでは読者が増えないようなものだ(笑)。

 何でもかんでも「わかりやすいように」とメディアも教育界も低い方向に流れてしまうが故に、さらに知的な情報伝達方法に抽象性が駆け落ち、結果的に思考する力が弱まっているんじゃないだろうか。たまには文字密度の濃い活字に触れて、う〜んと唸って見るのも悪くないと思うだが、いかがだろうか。

ハッカ油のパワー

 テレビを見ていたら、偶然、蚊の対策にはハッカ油が効果的と知り、速攻で、Amazonでポチッとした。毎朝に庭掃除や草むしりの時に蚊が「ぷ〜ん」と飛んできては、身体中に総攻撃をかけ、いつも掃除が終わる頃には手足が赤くなっており、なんとかならないものかと思案していたところだった。

 昨日、届いたので、早速今朝、手足にシュッとつけて見たところ、ミントの爽やかな香りと、すっと温度が奪われていく清涼感がたまらない。気持ちよく庭掃除と草むしりをやって見た。するとどうだろう、完璧とは言わないまでもかなりの効果があった、蚊がほとんど寄り付かないのだ。ハッカ油を塗らなかったところだけに、蚊がなんとか攻撃をかけてくる、そんな感じだ。素晴らしいではないか。

 ところが、このハッカ油のパワーは強すぎて困るところもある。なかなかその香りが取れない。手足の清涼感が続くのはいいのだが、かなりの持続性があって、家族から、「その香りがついたまま外出はしない方がいいよ」と言われる始末。今や「香害」という言葉もあるくらいだから、匂いには気をつけないとならないが、このハッカ油の「これでどうだ!」的なパワーは2時間近くたっても衰えないのだ。ミントの香りが好きな人には心地よいが、さて、そうでない人にはきつく感じるかもしれない。まあ、私がつけた量にもよるのだろう。明日からは少しシュッと吹きかけて、塗りのばすようにしてみようかなと思う。

「ありがとうございます」の安売り

  最近、あちこちのお店などでサービスを受けると、どうも「ありがとうございます」を頻繁に聞くようになっていると思う。ある場所でのサービスを定期的に受けているのだが、質問され、答える度に「ありがとうございます」と言われ、なんとも言えない違和感を感じている。「はい」と言ってくれればいいところを「ありがとうございます」と言われてしまうのだ。

 あるいは飲食のサービスを受けても、やはり「はい」の代わりの過度な「ありがとうございます」を感じてしまう。「有難い」と書くくらい、「ある」ことが「難しい」ところから、感謝が生まれて「有難い、ありがとう」言葉になったのだと思う。だからこそ、その感謝の言葉に重みがあると思うのだが、こんな風に安売りされてしまうと、感謝をされているのではなく、機械的で感謝はないのだろうなと訝ってしまうのだ。

 日本のおもてなしは今や有名だけれど、どうも言葉は過剰になっていやしないだろうか?「立候補させていただいた」、「買わせていただいた」、「点検させていただいた」とかの過剰な謙譲表現もおかしくて、「〜しました」という表現がなぜ使えないのだろうかと思う。聞いている人はもはや「〜させていただいた」となっていないと不愉快になるのだろうか?

 このブログも「書かせていただきました」と表現させていただいた方が、よろしかったでしょうか?(笑)