本田の英語と白鵬の日本語

本田のミランでの記者会見を見て、彼の英語力に感銘を受けた。きっと、日本中で、感動した人は多いはずだ。素晴らしいのは彼が自分のペースで、自分の言葉で語り、ユーモアもあったこと。
  彼の語学力はロシアリーグで戦う中で、リンガフランクとして、英語を使わなければ、戦っていけない環境の中で培われたものだろう。まさに生きるためということが言語習得の最大のモティベーションだろう。
   白鵬の日本語も同じだ。相撲という日本語でしか語られない世界では日本語以外にない。しかも単純化した日本語では技や、戦いの感覚は語り尽くせなうだろうし、部屋の中でのコミュニケーションもできないはずだ。
  子供が言語を習得することもきっといく気抜くという本能に裏打ちされているのかもしれない。
   アジアやアフリカの人たちが英語を使うのも生きるためだ。英語を使わなければ教育も、仕事も得られない。しかし、裏返しに考えれば、悲しいことでもある。自分の母語で、教育も生活もできないのだ。
  さて、翻って、我が国の英語である。何のために学ぶのか?生きるためか?日本語でなに不自由なく過ごせる幸せを感じられないだろうか?
   生き抜くための英語だとして、それだけ必死に取り組んでいるだろうか?