学ぶ孤独

  今は小学校から大学まで「主体的学び」、「協働作業としての学び」が脚光を浴びている。iPadこようなデジタルデバイスもそういった学びを促進するためのツールとして、存在感が増しているのだろう。
  このような流れは賛成だし何らか問題はないと思う。それどころか、もっとも世の中にこのような流れを認知してもらい必要さえあるだろう。
  しかし…である。学ぶことにはやはり一方で、一人で理解して納得していくプロセスも必要だろう。先日、ここでLINEの効果を報告したが、先週のある授業で、「ではLINEで答えを書いてみましょう」とリクエストしたが、一向に応答がない。学生が全員沈黙してしまった。また、別の問題では、回答がなかなか出てこず、ようやく出てきたら、あっという間に他の学生が回答を打ち込んだ。それが、全員不正解で。きっと最初の打ち込みを真似たということがあるのだろう。
  集団で学び、それを自分の学びに転化することが大切なのだが、時として、一人で熟考して試行錯誤することも大切であろう。特に大学という高等教育では、その比重が高くなって行くはずだ。
  ともすれば、デバイスでの反応によって理解度や授業効果を判断してしまいそうだが、やはり対人的な直接的観察と相互作用を忘れてはならないだろう。学ぶことには孤独が伴う。学ぶ側も、教える側も心にとめておくべきではないだろうか。
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