過剰反応の恐怖

 愛知県一宮市の中学校の校長のブログがネットニュースとなっていた。建国記念日に関連しての内容なのだが、要するに「これは神話ですが、」と前もって言い、神武天皇の話をして、それが建国記念日の発端だという解説であり、そういう神話の文化を持つ国民として誇りを持ちましょうということである。

 ところが、これが「偏向した内容で、校長としていかがなものか」というクレームがつき、校長は炎上する前に削除したらしい。ところがネットでは削除前のその内容がコピペされて、ニュースとして扱われている。

 私も読んだのだが、どこをどう読んでも右翼的な内容だとは思えない。神話の世界はそもそも神話であり、これは古事記の世界だ。古事記は文学作品として扱われているし、少なくとも天皇系譜を扱っている上では、ちょっとした記録とも言える(それが正しいかどうかは別として)。ブログの内容はせいぜい古事記にある内容くらいだ。古事記が学習指導要領であるものなのだし、「神話だが」と断りもあらかじめ入れてあって、これが事実だとか、みんなは信仰しなさいとは述べられていない。

 自分の心情をブログに書くことはたやすいし、問題は起きにくいが、信条を書くとどうも炎上のきっかけになるようだ。ブログは自分にだけ書いているものではなく、あくまでも人目にさらされて、公表する内容である。したがって、文言にも注意しなくてはならないし、そもそも自分の、特に政治的な信条に関しては注意が必要だ。正直、私もここで自分の政治的なスタンスを書こうと思ったことは何度もあるが、あえて控えている。考えてみて欲しい。そもそも政治と宗教、性の話は自分の個人内の話題であって、人目の晒されるところに書くことではない。どうしても書きたい人は、そこから何かのムーブメントを起こしたいと思っている人だろう。

 さて、問題はどこにあるかというと、実は他人のブログを読んで、それが自分の考えと相容れないと分かったときの反応だ。そこにクレームをつけ、おかしいと声を上げる。倫理的に、あるいは公序良俗に反するものはクレームをつけるべきだが、それ以外のことがらにもクレームをつけることが、どうも社会の中で多すぎないだろうか。根本は自分の考えが一番で、自分の意見が通らなければ、世間はおかしいという考えだと思う。世界には様々な考えがあり、それとどう折り合いをつけていこうかと考えるのが大人というものではないだろうか。

 政治家が情報操作をするのはけしからんと声を上げる人たちがいるが、もっと恐ろしいのは、個人のレベルで、クレームとして様々な考えを封印して、考え方の方向性を自然に制御してしまうことだと思う。このネット時代、クレームによって奪われる意見が多くなるような気がして、それこそ空恐ろしいと思わざるを得ない。