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主体的な授業

 今年は経済学部の3年生を対象としたビジネス英語を担当している。春学期には新聞と雑誌の英語を読めるように演習を行っている。目標は辞書があれば、なんとか意味が取れるようになろうというものだ。

 新聞は見出しの独特な用法から始まり(時制や省略)、本文の読解を行っている。教材は授業日の新聞記事からなので、教科書は使わず、授業の時に教材として配布する。学生たちは約1時間、まず独力でその記事と辞書とスマホを片手に格闘する。驚くことに約20人いる教室が1時間、試験でもないのに静寂の中に包まれるのだ。私は巡回して、学生からの質問に答える。当初、中にはスマホの翻訳アプリを使うものもいたが、「それが自分の英語力に結びつくのかな?」と質問していくうちに、使うのをやめてしまった。私は「わから無いところがあったら、参考程度に使うのは構わない」というのだが、不思議なもので、「いいよ」というとみんな使わないのだ(笑)。

 英語教育では文法ばかりやるから使えるようにならないと批判が横行しているが、実際の現場では文法力が無いから、読解でも聞き取りでも問題があり、ひいては発信の英語力でも自身の生活レベルのことしかできないと感じている。読解でも学生は単語の意味を辞書でひけばなんとなくわかると思っているのだが、実際に情報性が高いもの、抽象性の高いものとなると語句の論理構造がわからないと意味が把握できない。したがって、その練習をしなければ英語力の強化にはならない。

 授業では最後の30分に学生を当てて意味を聞いたり、私が解説をする。通常ならそこで終わりそうだが、そこからが学生にとっては地獄だ。記事の日本語訳を書き出して、翌週には私に提出しなければならないからだ。もちろん、私の解説がなかったところも含めて。

 その結果、毎週彼らのレポートを読むたびに、読解力が上がると同時に、彼らの日本語語彙力も少しづつだが、確実に上がってきていると感じる。世の中では主体的な授業への転換がもてはやされているが、結局は学生や生徒が自分で取り組み、それを教員がサポートするという形態で、彼ら自身が様々な取り組みの中で一つでも気づきや発見があれば、それはもう主体的な授業と言えるのではないだろうか。派手さはないが、BYOD(Bring Your Own Device)の一例にはなるだろう。