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言葉の男女差

 昨日の授業で言語と性をテーマにして話をした。どんな言語でも男女差があるようで、その方法は音韻、語彙、文法と3層にわたる。授業では文法の中に組み込まれた性の話から、諸言語の男女の発話の例を見て、違いを示した。日本語では語尾の「わ」が特徴的だし、若い女性たちは関東でも自分を示す一人称の代名詞に「うち」を使うのが目立つ気がする。

 英語での男女差は日本語ほど明らかにはならない。特に文字化されたものから男女差を見抜くことは難しい。授業では幾つかの例を見せたが、授業を受講しているオーストラリアからの留学生でも迷うことがあった。英語では語彙の使い方に男女差が現れたり、付加疑問文の頻度に現れると言われている。語彙では大げさな形容詞とか、あるいはcuteなどの特定の形容詞の頻度にあるようだ。逆男性が好む形容詞や名詞もある。She's a knockout.など。

 さて、この男女差というのはなぜ生まれたのだろうか?それを学生に聞いてみたのだが、答えというか、考えが出てこない。もちろん、正解はわからない。推論の域を出るわけではない。ただ、私自身の考えとしては太古の昔からある男女の社会的な役割の違いが言葉の違いに表出されているのだろう。狩猟時代からの役割分担により、それぞれの性別ごとのコミュニティーの形成や、コミュニティーの中の男女の力関係がそこに出るのだと思う。「違う」を言語によっても顕在化させていたからではないだろうか。

 翻って、現在の男女差はどれほどあるだろうか。日本語の「わ」でも、次第になくなっていて、日本語の男女差は小さくなっている気がする。男女の役割差が小さくなっていることの表れだろうか。男とか女というジェンダーの差を意識することが小さくなるほど、きっと、言葉の差も小さくなるのかもしれない。50年後の日本語はどうなっているのだろうか。