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言葉の貧困

この時期になると毎年、この年を象徴する文字とか、流行した言葉がメディアに出てくる。その年の世相を象徴する言葉が出てくるのは楽しいし、流行語大賞などの類も嫌いではない。しかし、どうもこのところ流行する言葉は美しくないと思う。

  日本語は言葉をうまく省略することができるし、漢字やカタカナを組み合わせてあたらしい表現を作る。昔からこういうことは若者の得意とするところだ。例えば面倒くさいとエグザイルのメンバーのメンディーを掛け合わせた言葉や、お風呂に入るから返答できないの
フロリダはうまいと思う。しかし、その一方で、なんでも短くしてしまうことが多すぎないだろうか。今年の流行語ではないのかもしれないが、LINEなどで了解の意味での「り」はその最たるものだと思う。「やばい」とも同様で、良いことも悪いこともすべてこの一言で済ませてしまい、どのように良いとか、どのように悪いという描写ができない。そのせいだろうか、学生に発表をさせたり、レポートを書かせても「良かった」「悪かった」「勉強になった」などの表層的な言葉が踊って、その詳細を記述する表現が十分に現れない。
  メディアの作り出す言葉にも創造性を感じない。例えば、若い男性で人気が出ると、すぐに〇〇王子のような鋳型に当てはめるだけだ。なんだかコンビニ弁当やファミレスのように、大量生産するための金型に入れてすませる気がするのだ。グルメ番組のレポートも同じで、揚げ物を食べるのに、「さっぱりしていて油っぽくない」とか、あっさりした料理なのに、「しっかりとした歯ごたえで味が染み込んでいる」というように反対の表現をハンコのよう使っていることが多いと思う。
  短い言葉とか、定型表現がが悪いというのではない。しかし、短い言葉や定型表現ばかりですべてを済ますことは自ら自分が画一的な存在であることを示していることのように思えてしまうのだ。個性と叫ばれる時代で言葉ほど自分というアイデンティティーを示すものはないと思う。豊かな言葉とか、言語表現をもっと意識しても良いのではないだろうか。
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