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30年の差

 昨日、30年前に書かれた『ワープロ書斎術』という本を改めて読んでみた。当時のワープロが200万円だったことにも改めて驚き、なおかつCRTの画面がついた仰々しいものであったことも懐かしい。本の内容はワープロ選びから、キー入力の話とそれを書斎に据え付けた場合の環境に関する話である。面白いのは将来は電話線を使って文章を送ることともできるのではないかという希望が書かれていることで、30年後の今、メールで文章どころか写真や映像まで送ることができるようになったのをみたら、この作者は何と言うだろう。残念ながらこの方は2012年に鬼籍に入ってしまった。
  30年前の書斎では机の周囲に辞典類を置きなさいと書いてある。作者の書斎には立派な辞典類が鎮座しているが、これも30年後の今なら電子辞書に集約されているし、私の場合にはiPhoneに全て入っている。それだけでも物理的なスペースを生み出すことができるようになったと思う。書籍にしても、小説などの楽しむ本は電子書籍に置き換えているので、これもスペースを生み出す要因だ。残念ながら、専門書籍は線を引いたり、メモを書いていくから相変わらず紙のものではなくては困るけれど。
 30年前ならカメラで撮影した写真やそのフィルムの整理苦労だったろうが、これも今はデータとなって物理的なスペースを必要としない。こう考えると、書斎におけるスペースは劇的に改善された。だからこそ、ミニマリスト的な書斎術も可能になるんだろう。
 しかし、と考えてみる。こんなに便利になった今だが、30年前よりもそれに見合うほどに知的な生産は上がっているのだろうか。個人が簡単に情報を生産加工して発信することができるようになったけれど、それだけに質の保証がなくなったんじゃないかと思う。30年前なら書籍などで情報を発信できる人は限られていたけれど、それだけに質的な信頼度があったはずだ。量的には比較にならないほど莫大な情報を得られる現代だけれど、それだけに情報の信頼性を受け手が見出さなければならない時代になっているんだろう。知識の交換の仕方が随分変わった30年と言えるのかもしれない。
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