学びの本質

 最近、雑誌や本を読んで、また授業で自分が口にしつつどうも疑問をいだくようになっているのが「何事も役に立たなければいけないのか?」ということだ。「役に立つ教養」とか、「役に立つ。。。術」なんていう言葉があちこちでおどっているけれど、人間は役に立つことしかしないのだろうか。例えば、趣味でプラモデルを作るのは大好きだけど、これは役に立つことはない。しいてあげれば、手先が器用になることとボケを防止できることだろうか。コンピューターやスマホをいじくって楽しんでいるけれど、これも役に立つことなんだろうか。

 オランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガは人間の本質を遊びに見出して、遊びこそが人間活動の本質と言っている。遊びとは本質的に役に立たない。無駄なことだ。Schoolという言葉だって、ギリシャ語の「暇」から来ていることで、知的な遊びが学問の発祥とも言える。ただ、この豊かな遊びこそが人の心を豊かにしてくれるんじゃないだろうか。何事も役に立つのか立たないのかという二元論で語ってしまうことに寂しさと虚しさを感じる。役に立つかもしれないし、たたないかもしれない。でも、楽しいからやる。実は学びの本質はそこにあるんじゃないだろうか。

Remove all ads