「とて」って?

 源氏物語の和歌の英訳を比較研究している。夏の発表のテーマだ。英訳もだが、自分でもオリジナルの訳をスライドに書こうとおもい、改めて、オリジナルの和歌をみるが、「限りとてわかるる道の悲しきに…」の「とて」で引っかかってしまった。久しぶりに古語辞典と格闘するが、意味は「…と思って」、「…と言って」というのが大まかな意味なのだが、他にも「…として」、「…だが」などの意味があり、この「とて」は何だ?と未だに迷う。現代日本語の訳も参考にするけれど、確かにこうして、実際に自分で英訳を心みると英訳をした人々の苦労がしのばれる。もちろん、どこかで判断を下して、英語に変換するわけだが、この判断がどのようなものなのかを英訳されたものから探るのが研究テーマになる。

 ちなみに、興味深いのはMcCulloughという人の英訳。この人だけがなんと57577の拍(モーラ)を保とうとしている。源氏物語の英訳の大著を書かれた緑川さんはMcCulloughはある面でオリジナルにもっとも忠実だと書かれているが、確かにそのとおりかもしれない。だが、音のリズムを維持することと、歌の美しさを変換することは同じなのだろうか。それをあと二ヶ月弱でなんとか探求する。