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変化

 講義で言語の変化について話をすることが多い。どの言語でも絶えず変化をする。たとえば、昔の小津安二郎の映画を見て欲しい。特に女性の言葉遣い、それも山手のお嬢さんたちの言葉遣いの丁寧さに驚くと思う。あるいは昔のNHKのインタビューを見てみると、答える人たちの言葉遣いの丁寧さや速度のゆっくりさがよくわかる。変化というのは毎日少しづつ、連続体で起こるものだから、なかなかその中にいると認識しないけれど、ちょっと時間をおいて、比較するとわかるものだ。

 変化は自分の顔や体型も同じだ。毎日鏡で見ているけれど、たまに昔の写真をみると、自分が随分と変わっていることに驚く、そんな経験を誰もがしているだろう。実は言語が変わるのは社会が変わるからで、言葉の機能も変化し、使う人間も変化するからだ。

 ネットで、今の家族について昔と比較して、批判している記事を読んだ。確かに自分が子供の頃に比べたら、家族同士のつながりとか、緊密さとか、あるいは親として、子供としておかれた立場とか随分変化したんだと思う。しかし、だからといって昔がいいとか、昔のようにするべきというのも無理があるとおもう。どんな時代であっても大人たちは昔を懐かしみ、昔がいいと言う。

 だが、社会の変化は止められないし、どうなっていくのかも誰にもわからない。一つ言えるのは、どんな変化であれ、それがその時代に生きている人間には適合した社会なんだろうということ。そして、その社会がその時代に適合するように人間を変えていくのだろうということ。

 今のストレス・監視社会は私の世代には生きづらい。あるいは若者にとっても生きづらいかもしれない。しかし、反対に、この時代だからこそ、生き生きと自分を表現できる若者もいると思う。この先、どんな時代に変化するかわからないけれど、少なくとも過去の尺度では計れない社会になることだけは確実な気がする。

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