最後まであきらめない

 連日のオリンピックは心揺さぶられることが多い。中でも女子レスリングや女子バドミントンのダブルスでは残り10秒とか、相手のマッチポイントからの大逆転とかは本当に感動する。ドラマでもこんな勝利は描けない。

 最後まで諦めるなと人は言う。言うけれど、実際にはほとんどできない。心の中で「やっぱりだめだ」と諦めることの方が多いし、「ここまでやってきたんだから、もういいや」と、どこか諦めることを自分に納得させることがほとんどだろう。私もそうだ。だからこそ、スポーツの逆転劇には感動を覚えるのだと思う。まさにスポーツの中に自分ではできないこと、やってみたいことを投影するからこそ、心が惹きつけられるのだろう。

 それにしても、このような逆転劇、諦めない気持ちをどうやったら自分の中に育てることができるのだろうか。やはり絶え間ない日常の練習なのだろうか。それは必要だろうし、オリンピックに出てくる選手はみんなそうなんだろうと思う。では、強い精神力だろうか。精神力の弱い人がオリンピックに出られることもないだろう。きっと、精神力でも、体力でもトップレベルの選手たちは差がないんじゃないだろうか。

 では、そこに勝敗を分ける差があるのだろうか。きっと、それは自分や状況を冷静に見られるもう一つの目なんじゃないだろうか。熱い気持ちの中に、どこか時間が止まるように感じるほど冷静に状況を把握する覚めた気持ちがあるからこそ、残り時間の中で何をすべきか、どう反応すべきかが無意識に出るのだと思う。

 あまりにもレベルが違う話で恐縮だが、先月の私の学会発表でも少し似たようなことがあった。自分の発表の15分前、私の前の人の発表を聞きながら、自分の発表用スライドを見直していた。今までの発表なら、朝、ホテルを出たら、もうそれで良しとしていたところだ。しかし、今回は最後の最後まで、これでいいのかと見直しをしていた。そして、その15分前になって、とても大きな概念的なミスを見つけて、最小限の修正を施した。とはいえ、数的処理にも関わることなので、焦りはしたが、発表内容を左右することもなく、むしろ説得力のあるものとなったので安堵した。これも最後まで割と自分を冷静に見ることができたからだと思う。

 冷静にとか、客観的な心を持てとはいうけれど、確かにそれは難しい。スポーツ選手だってわかっているし、我々のような凡人だって、頭ではそれはわかっている。しかし、その実践がなかなかできないのだ。他人に自分の現実を突きつけられたり、指摘されることは、自分を客観的に見るいい機会なのだが、人間というのは、そういう場合には逆に腹が立ち、感情的になって、それを受け入れるどころか反発を感じてしまう。でも、ここにもしかすると、ヒントがあるのかもしれない。素直に自分の欠点を受けとめて、修正しようとする練習を積み重ねれば、もしかすると、いざという時に自分自身でそれを行えるようになんじゃないだろうか。その心の練習量がここ一番で自分自身を助けてくれると思うのだ。私もそれを忘れず日々精進せねばと自戒する。