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読書感想文の書き方

 関西の小学校が読書感想文の書き方を配布したことで、賛否両論が起こっているらしい。私自身はやっとそういうことに気づいてくれたかと思って、両手を挙げて賛成したい。どうも日本では先生だけではなくて、親も読書感想文は何も言わなくても書ける、あるいは書かなくてはならないと勘違いしているのではないだろうか。中には、活字を読めば書けるようになると乱暴な考え方もいる。今回の件で、反対の意見の中には、みんなが画一化したものしか描かないとか、オリジナリティーのあるものがなくなる、とあるが、ちょっと考えてほしい。

 文章を書くというのは大変なことで、言語活動の中でももっとも難しいものだ。たしかに文字は小学校入学から書けるかもしれないし、文は書けるかもしれない。ところが文をつなげて談話にするにはかなりの労力が必要だ。だから、自然にできるとおもっていると落とし穴にはまってしまう。

 社会の中で書くという行為には報告書、意見書、論文、報道など様々あり、それらの文章の構造というのは決まっている。ところが、なにがしかの構造にしたがって文章を書くという訓練を日本の生徒・学生は受けていないので、大学生になって、初めて、その構造に従って書かなければ、評価されないという壁にぶち当たってしまうのだ。レポートを書かせても読書感想文のように、自分の感想ばかりを並べるのなら、まだいい方で、本の内容なテーマの内容を書き写して原稿用紙を埋めるしかできずに悪戦苦闘する学生が多い。

 読書感想文というのは、何が求められていて、何をどのような順序で書くものなのかを認識させるきっかけになってくれるなら、とてもいいことだと思う。文章はアトランダムに文を書くのではなく、そこには意味のまとまりの段落があり、それぞれの文も段落も、首尾一貫性と照応関係があり、また内容によって使われる表現の選択肢があると認識させることはとても重要だ。仮にそのようなフレームワークを提示したところで、構造が共通になるだけで、生徒たちの感想が画一的なものになるわけではないだろう。むしろ、「おもしろかった」とか「感動した」などの画一化した表現だけではなくて、何がどう面白かったか、心がどのように感動したのかの表現の種類を、これを機会に学ばせてくれればと思う。読書感想文というのが、レポートというジャンルの下位分類に入る、あるいは導入的なものだとすれば、その必要性はさらに上がると思う。