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翻訳の恐ろしさ

 昨日は名古屋大学で博士論文の審査を行った。著者の学生が私の専門とする選択体型機能言語学を分析に用いた関係で、名古屋大学の先生から外部審査員として指名され、この1年半ちょっと、関わって来た。私の研究もこの学生の分析にずいぶん取り入れられて少しばかり気恥ずかしかった。

 さて、この論文の中ではオバマ大統領のプラハでの「核なき世界」を題材に扱っているのだが、この「核なき世界」というのはオバマ大統領の演説の日本語訳から出て来ている。ところが、オバマ大統領の演説の英語での原文を見ると、「核をなくす」とは一言も言っていないのだ。「核を使わずに平和の探求をする」とは言っているし、核兵器の削減をするとは言っているが、「なくす」とは一言も言っていない。「核なき世界」と日本語になると我々は核が全くない世界を思い浮かべる。日本語に翻訳されたこの「核なき世界」は我々の願望ではあるが、オリジナルとの見解と隔たりがある。日本語だけでこのメッセージの意味を解釈して、オバマ大統領に期待をかけたとすると、それは我々の片思いになってしまっていると言えないだろうか。ちなみに「核のない世界」という翻訳はアメリカ大使館のHPに公表された訳なのだが、ここにも実はアメリカ政府の対日政策の意図が隠されていると考えるのは穿ちすぎなのだろうか?