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知識のコスト

 授業が本格的に始まった。授業内で、辞書を使わせようと思い、学生に調べるように促したところ、辞書を持たない学生がいることに気づいた。事情は様々なのだろうが、そのような場合には、とりあえずはスマホを辞書がわりに使うことを許可している。ないよりはマシだからだ。

 だが、スマホでも無料の辞書サイトで語句を調べるのだが、そのようなサイトは語の使い方は掲載していない。語の意味と、例文の羅列だったりする。ある程度の語学力がある人はそれでピンとくるのだが、学習者にはハードルが高い。どのような場面でどのよな意味として用いられるかが見抜けないし、似たような語句との使い分けもわからない。だからこそ、学習用の辞書の価値がある。

 基本的に書籍化される情報は商品価値があると判断されるものであり、その情報は専門家によって精査されたものであるがゆえに信頼性も高い。そのような信頼性の高い情報を構築するには資料の収集や考察などのコストがかかる。だからこそ有料で配布されるわけだ。すなわち、信頼性の高い情報や知識こそコストがかかり、それを入手するためには我々もコストを支払わなければならない。考えてみれば、自分が苦労した情報を公開するのに、無料でどうぞというほどお人好しにはなれない。

 ところが、今のネット社会では情報は無料で入手できると思っている若者が多いように思う。全ての回答がネットにあるとさえ思う人がいるような節さえ感じる。だが、このブログでもそうだが、無料のものは個人の感情的なことや思いつきも多く、検証された事実でもないし、第三者との議論の中で生まれたものとは限らない。それをあたかも「真実」とか「事実」として受け止めてしまうのは危険なのだ。だから、昨今「情報リテラシー」なる言葉が重要視されているのだ。

 知識の価格は安くない。本の値段をみれば一目瞭然だ。若い人たちには簡単にかけられるコストではないことはわかる。だからこそ大学の図書館を有効利用してほしい。また自分の懐から出して、購入した情報はいずれは自分の糧となる。決して無駄な投資にはならない。

 知識に対して、コストを認める社会こそ、知的な財産が継承できる。そして、それこそが豊かな文化を育むと思う。